2003.10.4〜5(日) |
|
2003年5月白子谷を鉄山に向けて遡行、鉄山(1563m)で遭難死した市田君の追悼登山を行った。 メンバーは会長・渕崎・御影・釈迦堂・石田・漫歩マンの6名 |
||||||
10月4日 20:00 |
小阪駅集合、会長車デミオとM影車モビリオに分乗し、同駅スタート。 | |||||
22:15頃 | 洞川温泉着、(途中西名阪柏原で降り大淀〜下市のコンビニでビール等を購入) 駐車場トイレのそばでテント設営。それぞれ夕食は済ませているので簡単に一杯・・・と思いきや、誰がビール8本も飲むのかな?と思っていたビールがアッという間になくなり、会長持参のお酒2本もアッ。
|
|||||
10月5日 01:00頃 |
就寝。 釈迦堂氏・石氏はまだなにかしゃべっている。「もう酒はないか」とのことに「神の河」を差し出したら、これで朝の4時頃までだべっていたらしい。 |
|||||
06:00 | 起床。インスタントうどん、パン、おこわめし、等会長の沸かしてくれたお湯で朝ごはん。 釈迦堂氏は食欲がない、と。 |
|||||
07:40頃 | 洞川をスタート。スタート前に釈迦堂氏、車のドアの角で頭をぶつけて大怪我。どうも彼は二日酔いらしい。
|
|||||
08:25頃 | 神童子谷・大川口に駐車、登山開始。怪我をした釈迦堂氏は留守番をするとのこと。 登り初めから、強烈な急登・直登、30分ごとに休憩。こりゃシンドイ。 留守番の釈迦堂氏と会長は無線で山の様子を連絡しあっている。 「会長は快調やな」と渕崎氏。頂上までずーっと急登だった。
|
|||||
10:20頃 | 頂上を目前の少し平たいところに「田村某平成11年2月17日」と書かれた慰霊碑が建っていた。 冬山で死んだ人もいるのだ。
ここに木材を下ろすためと思われる鉄のロープが沢山捨て置かれている。 「鉄線が沢山あるからこの山の名を鉄山(テッセン)というのだ」とダジャレ。 |
|||||
10:35頃 | 頂上着。立ち木に「鉄山」と書いたかまぼこ板がくくりつけてあった。 その木の根元にお花を飾り、線香をつけ、お酒をそえて黙祷・・・。 市田氏が白子谷から登って、何度も迷ったと思われる場所まで見に行こうと30分ほど反対側を降りてみる。 このあたりで迷ったのかなと想像するが、今日は好天で彼が遭難したときとは条件が違いすぎて「迷う」ということがどうも信じられない。
「白子谷を5月の冷たい水の中を歩き、不慣れな沢で急登で苦しみ、疲労困憊のところに夕闇・ガスで道が見えない、不安は募る・・・」こんな状況を想像して無理やり自分を納得させた。
|
|||||
12:10頃 | 下山開始。 下山途中、鉄線・慰霊碑のあるところで一人の中年で中肉中背の山男が来た。 |
|||||
13:45頃 | 下山完了。 | |||||
14:15頃 | 大川口を帰途スタート。 途中、新庄あたりのファミレスで昼食、経費の精算。 |
|||||
18:00頃 | 御影車、瓢箪山駅に到着。 皆さん、すばらしいお山へご案内いただきありがとう。 |