2002年7月14日 |
|
「台風7号が接近している」とテレビが報じている中、自宅をスタート。 |
名古屋まで新幹線で、甲府からバスで広河原山荘まで
「広河原山荘」に着くなり雨が降ってきた。山荘ではステーキにワインが付くという豪華な夕食。 |
宿泊客は総員14名。 |
|
山荘前の吊橋 |
広河原山荘 |
|
2002年7月15日 |
|
雨の中広河原山荘をスタート。 |
「肩の小屋」山荘着。 終日雨だった。途中、高山植物がきれいだった。 雪渓にはサルも走っていた。 |
|
|
2002年7月16日 |
6:30 |
7:00 |
8:00 |
13:15 |
14:55 |
|
肩の小屋山荘スタート。 |
北岳頂上。 |
「北岳山荘」着。 ここには台風のため4日間も足止めを食らっているという東京の女性2人がいた。 |
間の岳頂上。 |
「農鳥小屋」着。夜中オシッコに小屋から出て雨の中、小屋の入り口が分からず困った。 |
|
台風とガスの中、北岳 |
4日間も足止め中の2人と |
間の岳頂上(3189M) |
|
2002年7月17日 |
5:30 |
6:15 |
7:10 |
7:50 |
11:25
|
19:20 |
19:50 |
|
「農鳥小屋」スタート。夜明けのときは右の写真のように晴れていたが・・・。 |
西農鳥岳頂上着。あめ・あられ。 |
農鳥岳頂上着。気温9℃。カミナリ・雹・あられ・大雨で体はずぶぬれ。死ぬ思い。 |
大門沢への下降点ではS43年に遭難死した25歳の人の碑が立てられていた。 |
「大門沢小屋」着。予定ではここで泊まるはずだったが、まだ早いのでそのまま下山する。 これが間違いだった。途中、道標がなく16:15まで迷ってしまって雨の中のビバークも考えた。 |
県営奈良田発電所着。ホッ。 |
「大野屋旅館」着。うなぎ・あゆの豪華夕食に生き返った。 |
|
農鳥からの富士山遠景 |
農鳥岳の夜明け |
西農鳥岳(3050M) |
農鳥岳(3025M) |
S43.1.4、25歳で遭難死の碑 |
大門沢にてホッと一息 |
|
|
2018/5/18 NHK BSで放映していた |
|
2002年7月18日 |
宿舎を「蓬莱館」に変えて、ゆっくり温泉浸り。
この温泉、孝謙天皇が療養のため奈良から来たから「奈良田温泉」という曰くつき。
湯の花の浮くいかにも「温泉」という感じ。 |
2002年7月19日 |
17:30 |
自宅着。 |