2007.5.7(月) |
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つわものどもが夢の後「賤ケ岳の合戦」、で有名な余呉湖と賤ケ岳を中村氏のお誘いで9名が歩いた。 メンバーは中村・小寺・大藤・前田・高垣・那須・玉井・秋永・清水の9名。 |
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7:30 | 近鉄・西大寺駅に集合。 | ||||
8:52 | JR京都発の電車に乗る。 | ||||
10:31 | JR余呉駅に着く。 メンバーのうち前田氏はこの余呉町の出身だそうだ。 駅から歩き始め「羽衣掛けの柳」「へらぶなの釣り場」「アジサイ園」「国民宿舎余呉湖荘」を通過して、
「羽衣掛けの柳」: その昔、余呉の庄は湖の西の里に桐畑太夫という男が一人で暮らしておりました。 ある日のこと、湖に船を浮かべて漁をしていると、どこからともなくいい香りがしてきました。 その香りのする方に船をこぎ寄せると、美しい女性が水浴びをしています。 そばの柳の樹には、今まで見たこともない羽のような衣が掛けられており、そこからいい香りがしています。 太夫は忍び寄るとそっと手を伸ばして、樹に掛けられていた衣を自分の懐に隠してしまいました。 何も知らないその女性は、湖から上がると衣がなくなっているのに気づき嘆き悲しみました。 そこへ太夫が現れ、「どうしたのか」と尋ねると、「私は天上に住む者です。 この湖があまりに美しいので年に一回水浴びに来るのですが、羽衣を無くしてしまったので天に帰ることができません。」 途方に暮れる天女に「私の家にある着物を差し上げましょう。」と自分の家に連れ帰ってしまいました。 ほどなく二人は夫婦になり、元気な男の子が生まれ、幸せに暮らしておりました。 しかし、ある日天女はなくしたはずの羽衣をわらの下から見つけると、 それを身にまとい子供と夫と余呉湖に心を残しながら涙ながらに天に帰ってしまいました。 その後、この子供は菅山寺で勉学を納め、後には右大臣になった菅原道真公であるということです。 そして、天女が水浴びをしたとき、羽衣を掛けた柳の樹は今も余呉湖畔に残されています。 |
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11:40 | 登山道に入る。少々肌寒い。 低い山とはいえ、結構厳しい坂道休み休み50分ほど登る。
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12:30 | ようやく山頂に到着。 登っているときには一組のグループしか目に入らなかったが、山頂ではかなりの人数が居る。 逆の道を登ってきたか、リフトで登ってきたのだろう。
山頂には三角点があり、・北緯 35度30分10秒510 ・東経 136度11分45秒534 ・標高 421.13m ・設置年 明治23年(西暦1890年)とあった。 |
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13:30 | 昼食を終え、皆からそれぞれ たっぷりおやつをもらい下山する。 途中にはいわくのある地点にそれぞれの説明板が立てられている。
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14:20 | 上の写真の「余呉八景 青嵐大岩山」から道が二手に分かれており、右が「中川清秀の墓」左が普通の下り道。 我々は「中川清秀の墓」にお参りしようと右手にとる。
中川清秀の墓から元に戻らず、墓の右手に細い道があるのでその道を直進すると、だんだん道らしくなくなってくる。 ついには目の下に民家は見えるが道がなくなってしまった。
中村氏が責任を感じて皆に「待ってろ」と言って道を探す。 自分も他のグループで行くときたまにこんなときがある。 だれも責めるわけではないが、リーダーとしてはやはりつらい。 |
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15:20 | ちょっと外れたところに下山した。 駅に向かって歩くと、田植えの後に機械でうまく植えられなかったところに農家のおばさんが手で植えなおしている。 大変な作業だ。 |
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15:35 | JR余呉駅着。 待ち時間の間、ビールを飲む。 |
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16:14 | JR余呉駅発。 | ||||
19:20 | 自宅帰着。 中村さん、本日のご案内ありがとうございました。 |
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本日のDorToDor総歩行数:32,831歩、歩行距離:約21Km。 |