2013.2.28(木) | 枚岡駅から国道308号線で暗峠〜南生駒駅〜小瀬の足湯〜榁木峠〜追分梅林〜富雄川〜富雄駅 |
伊勢本街道の第2弾。 前回のゴール枚岡駅から国道308号線で暗峠〜南生駒駅〜小瀬の足湯〜榁木峠〜追分梅林〜富雄川〜富雄駅の約16Km。 |
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10:20 | 近鉄枚岡駅を単独スタート。 | |||||||
10:25 |
神紋は春日大社と同じ「下がり藤」。 この付近の秋のお祭りには「ふとん太鼓」が出てくるが、普段は上の写真の倉庫に保管されている。 |
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10:29 |
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308号線ではただただ、登るだけ。 膝痛を押して出てきたがこのコンクリート道がガンガン膝にひびく。 進むほどにお地蔵さんとか石碑とか目を引くものがあって苦しさは紛らわせてくれるが・・・。
年のせいか?膝痛のせいか?とにかく苦しい。 歩幅は40Cm位、足が前のほうに出てくれない。 コンクリート道も疲れを増す。 |
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11:16 | 観音寺の石碑を見て、不動明王を見て、慈光寺への看板を見て、ちょっと休憩していたら後ろから「おばちゃん?ハイカー」がやってきた。 ワタクシよりも少し若いかな? あっという間に先のほうへ行ってしまった。
慈光寺はホトトギスの名所だ。5月頃になると盛んに鳴き声を聞かせてもらえる。 |
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11:45 |
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12:01 | ようやく着いた。所要時間は1時間40分。何度も考える、年のせいか、膝痛のせいか。 加えて、胃が痛くなってきた。一昨日から胃痛で苦しんでいたが少し落ち着いたから出てきたのだが・・・。 胃潰瘍の持病はお腹が空いてくると痛みが出てくる。 お茶を飲む。
峠のお家の掲示板には関係する説明が記されており、芭蕉の説明もあった。 「菊の香にくらがり登る節句かな」・・・1694年9月9日に芭蕉(51才)が奈良から大坂に来るとき、暗峠を越えたときに詠みました。 9月8日に伊賀上野を発ち(体に発疹が出ていた)奈良に一泊し、9日に峠を越え10月12日に大坂で午後4時ころ没。 「旅に病み夢は枯野を駆け廻る」 また、この石畳についても 「大和郡山藩・柳沢家の本陣がここにあり「行列がぬからないようにしかれた」とされています、と。 |
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12:05 |
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空腹感は覚えないがお腹がカラッポになると胃痛が始まるので、 無理でも何か食べようと思ったところへ「うどんや」の旗がひらめいている。
飛び込んで昼飯。 悠長なお店だった。 |
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13:04 | 石仏。 万葉歌には 参考:「難波門を漕ぎ出でてみれば神さぶる生駒高嶺に雲そたなびく」とあった。
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13:11 |
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13:16 |
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13:27 | 石仏寺に着くと大勢の伊勢参りバスツアー客がたむろしている。 あとでわかったことだが、バスは南生駒駅のそばで待機していた。 多分、駅から暗峠までを歩いたのだろう。 |
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13:53 | 南生駒駅までたどり着いた。 一瞬「帰ろかな」とも思ったが、「まあ、一人だ、のんびり行こう」と先へ進む。 |
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14:03 |
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14:18 |
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14:27 |
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14:48 | 学校前で小休憩の後、歩を進める二つ目に信号を左折すると「足湯」に着く。 先客が何人かいたが、かまわず入れてもらう。 15人くらい座れるだろうか。 すぐそばの老人ホームのおばあちゃんが浸かりに来た。 15分ほどで浸かってまたスタート。
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15:13 | 足湯の裏手、配水池の塔を右に見て進むとすぐに308号線の狭い道になる。 道脇の木には「おいせまいり 伊勢本街道保存会」に木札が時々目に付く。嬉しいね。
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15:19 |
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15:32 |
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追分神社を左に見てその先に「追分本陣村井家」がある。
村井家の右手のほうが梅林だったとそちらへ行くと、なんと!
無残にも枝はすべてちょん切られていた。 仕立て直すのだろうか? |
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16:10 |
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16:34 |
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17:22 | ゴール近鉄富雄駅。 膝痛があるとはいえ大変しんどかった。「7時間労働」だった。 | |||||||
本日のドアtoドアの歩数:約 37,349 歩。 | ||||||||
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