伊勢本街道を歩く  へ戻る
2013/1/21  上本町駅から布施駅まで(単独) 2013/2/1  玉造神社から枚岡駅まで 16Km(単独)
2013/2/22     玉造神社〜枚岡駅を彦八メンバーと   2013/2/28  枚岡から富雄(単独)  2013/9/18にも
2013/3/7   富雄から奈良(単独) 2013/3/16   奈良駅から天理駅まで(単独) 
2013/5/13  天理駅から大和朝倉駅〜榛原駅(単独) 2013/6/1  初瀬から高井の驛まで(ゆうほ) 11Km
2013/6/22  高井の驛から山粕峠(ゆうほ) 11Km  2013/7/13   山粕から敷津(ゆうほ) 12Km
2013/9/10  敷津から美杉(ゆうほ) 約14Km  2013/9/25   美杉から柿野(ゆうほ) 約12Km
2013/10/5   柿野から多気(ゆうほ) 約12Km 2013/11/27   相可(多気)から田丸 約12Km 
2013/12/14  田丸城跡から外宮へ 約7Km 2014/1/18  外宮から内宮へ 約 7Km

江戸時代に全国的に流行したお伊勢参り。
「一生に一度は伊勢参り」、「伊勢に七度、熊野に三度、お多賀様には月参り」といわれたように
江戸時代の人々はこぞって伊勢参りの旅に出た。
2013.1.21(月)  上本町駅から玉造稲荷神社〜布施駅 
12:50
午前中から出かけてはいたが、道を誤って難波や道頓堀のほうへ行ってしまったために結果的には午後のスタートになった。

上本町駅を出発。方角は東へ向いて行き小橋町交差点から北上する。
味原本町交差点を過ぎ、高津高を右手に見て進むと次の交差点左手角に「鎌八幡」がある。

【鎌八幡】

 遠い昔、このあたりは三韓坂と言われた古道で、そのわきに一本の榎の霊木があり、人々の信仰を集めていた。
 大阪冬の陣のとき、真田幸村がこの土地に陣所を構えたが、この信仰を聞き伝えて、鎌を打ちつけ、
鎌八幡大菩薩と称して祈念したところ、大いに戦勝をあげたという。

 江戸時代初期には、この鎌八幡の境内に、国文学者として有名な高僧契沖阿闍梨が居を定め、円珠庵と称した。
契沖は、ここで万葉代匠記や和字正鑑要略を著し、国文学の研究に専念すると同時に、深く鎌八幡を信仰した。
この頃から「鎌八幡」は「祈とう寺」として、人々の信仰が広まった。


鎌八幡

鎌八幡
13:43
鎌八幡から北進し、空堀町交差点で左折すると「東雲稲荷神社」がある。
ここは次の玉造稲荷神社の分社である。

昔、お伊勢参りの準備はこの東雲稲荷神社から始まりました。

東雲稲荷神社

東雲稲荷神社
14:00
東雲稲荷神社から北へ進み、右前のカトリック教でを右折するとすぐに左手に「玉造稲荷神社」がある。

古来、玉は権威の象徴として珍重されてきた。
その玉を加工する集団・玉作部ゆかりの歴史を持つ。江戸時代の錦絵にも描かれているように、
近世は大坂近郊から伊勢を目指す参拝者はこの神社へ寄り、旅の安全を祈願したという。

境内には豊臣秀頼寄進の鳥居や玉造資料館がある。


現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉造部の居住地であったという伝承がある。

玉造稲荷神社

玉造稲荷神社本殿

伊勢参宮本街道起点 神宮まで170Kmと

豊臣秀頼公奉納の鳥居(阪神大震災で損傷)
14:12
玉造神社を出ると道の真ん中に大木。ご神木だという。

道の真ん中にご神木
14:26
ご神木から南へ向かい東雲消防署(分かりにくい)を左折し、
いくつか角を曲がりながらJRのガードをくぐると
道の右側歩道に二軒茶屋跡の石碑が建っている。

石碑の後ろの案内板には

「この付近は旧奈良街への大坂側からの入り口で街道の両側には、
旅行者目当ての茶店があり
俗に“二軒茶屋”と呼ばれて繁盛した。・・・・・」
と。

二軒茶屋跡
14:50
二軒茶屋あとから東へ進むと左手に八坂神社。

入り口右手には「暗越奈良街道」の石碑がある。

参道入り口

暗越奈良街道 石碑
15:01
八坂神社から道に迷いつつ東成警察署を過ぎ、平野川今里大橋の手前で旧奈良街道の標識と案内板。

案内板には「・・・ほぼ60年周期で爆発的に流行した伊勢参宮「お陰参り」のときは、1日7〜8万人の旅人で賑わった・・・」とある。

標識

案内板
今里あたりで左足の裏にマメが出来た。 無理をせずに今日は布施駅からリタイヤー。