2009.10.20  大峯山・山上ケ岳 (1719m)

今から1300有余年前の白鳳年間、役行者という山岳修験者が、熊野本宮から大峯山脈を南から北の大峯山(山上ヶ岳)に向かい修行をしていました。
この修行を案じた役行者の母、渡都岐(とつき)白専女は、役行者の弟子・後鬼の案内で葛城山の麓、茅原から険しい峠や山河を越えて、

役行者が山籠りして修行している大峯山に一番近い、洞川の蛇ケ谷まで会いに来ましたが、
この谷を渡ろうとすると、一匹の大蛇が行く手を阻み、どうしても渡ることが出来ません。
後鬼と替わるがわる何度試みても駄目でした。

弟子の前鬼を通じてこのことを知った孝行心の篤い役行者は、悩みに悩んだ末、
このままでは母は私を心配して命の危険な山中を何処までも心配して追っかけて来る。

蛇ケ谷に庵を建て母に住んでもらい、身の回りのことを後鬼に頼み、私自身が時々母を訪ねることにすれば、母も安心して留まってくれるだろう。
早速、洞川の人たちに頼んで母の庵を建ててもらい、母公堂と庵の名を付けました。

また、その際に重ねて母を思う心から、母が後を追わないようにと「女人入山禁止の結界門」を建てました。
これが「女人禁制」の始まりであり、一千三百有余年後現在も守り続けられている歴史の重みであります。

これは「女性差別的」な解釈でなく、役行者の母を思う優しい心の現れであるという。

6:15 自宅をマイカーで出発。
7:35 近鉄御所駅で藤原氏と落ち合い、スタート。
9:10
清浄大橋から登山開始。 ここでは数人の参拝客がいた。

清浄大橋にて 
10:15
清浄大橋からおよそ1時間でお助け水に着く。

お助け水 

シーズンも過ぎ、平日だから登山客はいないだろうな、と思っていたが何人か何組かのメンバーがいた。
中でもオーストリアから来たという一人の外人が珍しく思えた。
10:45
洞辻茶屋・出迎え不動。

洞辻茶屋 

出迎え不動

茶屋の前には皇太子殿下行啓記念の石碑が平成2年6月13日とある。
皇太子殿下の登山のお蔭で登山道は随分整備された。
11:20
短い鎖場を2つ登ると、鐘掛岩(標高1620m)。

鎖場 
 

鐘掛岩(標高1620m 

鐘掛岩標石 
11:40
西の覗き。
今日は天気が悪く下がよく見えないが・・・。

後ろが絶壁 

後ろが絶壁 
12:05

12:50

大峯山寺到着。
山頂にはほかに3人いた。一人は70歳だという大阪のオッサン、寒いから・・・と昼飯も食べずに下山した。
愛知から来たという青年、坊主かと間違う坊主頭、一緒に食事した。

70歳のオッサン 

愛知の青年 

お花畑 
 
三角点(1719m)

我々も冷え込みには勝てず早々に下山。
紅葉はそれなりに見事だ。

紅葉 

紅葉 
14:55
下山了。
登りは約3時間、下りは約2時間だった。
15:35

16:25
仕上げは洞川温泉で小1時間。ゆっくり疲れを癒す。
19:00
途中近鉄御所駅で藤原氏と別れ我が家に帰着したのが19:00。
期待した好天には少し裏切られたがまずまずの楽しい1日でした。
本日のドアtoドアの総歩行数:29,000歩、歩行距離:約15Km。