伊勢本街道を歩く  
2013.5.13(月) 近鉄天理駅から黒塚古墳〜玉列神社〜大和朝倉駅〜まで約13km
10:23
近鉄天理駅をスタート。駅前の本通り商店街に入りすぐ薬屋の角を右折する。

と、すぐに「上街道 河原城」の看板が目に付く。

薬屋の角を右折





「奈良と桜井を結ぶ街道は、古くは上ツ道と呼ばれ、多くの旅人が行き交いました。
特に鉄道が開通する明治までは、大阪方面からの伊勢参宮の道として賑わいました。
今でも年末になると大阪玉造から伊勢神宮へ歩いて参拝する伊勢迄歩講の一行がこの道を通ります・・・・」
と説明が・・・。
10:45
丹波町の古い感じの町並みを抜けると道の真ん中に大きな小屋の骨組み様のものが・・・。
このあたりがその昔「市」が開かれ賑わったところと推察される。
「丹波市」と言われたのだろう。 その先には「市座神社」もあった。
 
小屋状の建物
 
市座神社
10:51

市座を過ぎると少し道は長閑に感じる。 道端のお地蔵さんが目に入る。
田園部に入るとため池で金魚の養殖。

10:51 小屋付き地蔵 

10:54 青天地蔵

11:05 金魚養魚
11:07

金魚のため池を過ぎると、「?」と思う像が・・・なんだろう? その隣には「八坂権現」とある。
更にその先には芭蕉の句碑。 
「草臥れて宿かる頃や藤の花」と。

?何の像?

隣には八坂権現

芭蕉の句碑 (石碑の上は藤棚)
11:23
 道の左側にお地蔵さん。 

 前方を見ると火の見櫓が見える。

道端の地蔵さん 
 
前方右手に火の見櫓
11:32
火の見矢倉の先に池に囲まれた藪の山。「馬口山古墳」だ。 

その隣が「
大和(おおやまと)神社」。
戦艦大和には、同名であることから当社の祭神の分霊が艦内で祀られていた。
戦艦大和は昭和20年(1945年)に沖縄沖で沈没したが、そのときに亡くなった2717名の英霊が末社・祖霊社に合祀されている。


馬口山古墳 
 
大和(おおやまと)神社
11:39
 矢矧塚(やはぎつか)古墳。

 この古墳についての詳細は分からないらしい。

 山は柿木が栽培されていた。
 
矢矧塚(やはぎつか)古墳
11:45

矢矧塚
古墳の先には石仏があり、その先には大和神社のお旅所跡が。

道端の石仏 

お旅所跡

お旅所看板
11:50
 五智堂。

五智堂(傘堂とも)


梵字額

長岳寺の西(850m位の所)の飛び地境内に有ります
単層の宝形造で中央の太い心柱で建物を支えている 珍しい「五智堂」(国重文)があります。
心柱の上の部分に、大日如来の梵字を彫った額が四面にかけてあります傘堂、眞面堂、豆堂とも呼ばれます。
11:59
 五智堂の先、民家の前の片隅に記念碑が建てられている。

 その石碑には「大東亜戦争記念」とあった。

 11:59


大東亜戦争記念碑
12:03
 伊射奈岐神社の常夜灯を見て、地蔵さんを見て

伊射奈岐神社の常夜灯

12:08 地蔵さん
12:20
 纒向の町に入るとこの辺り、「出雲」姓の表札が良く目に付く。

 『日本書紀』によれば、大和国の当麻邑(たいまのむら)(現葛城市當麻)に住み、
強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していたため、
これを聞いた垂仁天皇が出雲国から勇士であると評判の
野見宿(のみのすくね)を召し寄せ、角力(すまひ)で対戦させたところ、
互いに蹴り合った後に、腰を踏み折られて死んだといい、
蹴速の土地は没収されて、勝者の野見宿禰の土地となったという。

 という日本書紀の言い伝えの「出雲」は幅広くこのあたりを言ったのであろうか?
 
その名残での名前であろうか?

「出雲」姓の表札 
12:25
 纒向の町中のJAならけん纒向支店の庭先には「朝臣柿本人麻呂公屋敷跡」の石碑。

JA纒向支店の庭先 
 12:33
  JA支店の先には国道169号線にぶつかる。

 その国道の下をくぐり向こう側のスロープを上り、階段を下りたところに「歴史街道の道標」

国道の南側のスロープを上る 

スロープを上りつめたらすぐ階段を下ると道標
 12:37






 道標に従い前へ進むとこんもりした山が目に入る。 これが箸墓古墳だ。

 飛鳥時代から奈良時代にかけては、この地域に市が発達し「大市」と呼ばれた。
箸墓古墳のことを、宮内庁治定では「大市墓」というのはこのためである。


 このお墓は第7代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)の墓だと宮内庁は指定しているのだが、これが卑弥呼の墓だとする説がある由。

卑弥呼の墓か
 12:48

12:48 お地蔵さんを見て

12:58 大神神社の大鳥居を見て
 13:00













三輪の茶屋跡の標識に従って、ちょっと見学。

近松門左衛門の浄瑠璃「冥途の飛脚」が歌舞伎化されたその舞台。

大坂御堂筋の飛脚屋「亀屋」の養子・忠兵衛が
遊女梅川の身請けのために客の為替金に手を付けてしまいう。

大坂から追っての手を逃れて奈良から三輪を経て故郷の新口村(現在の橿原市)に逃れて来るが

途中三輪の茶屋に立ち寄ります、その茶屋跡です。




梅川・忠兵衛の碑
 13:04

 綱越神社で昼食。

大神神社の摂社という。

綱越神社
 13:29
 大神神社を横手に見てちょっと紛らわしい町中を進むと恵比寿神社。

恵比寿神社 
 13:39
 恵比寿神社から進み、JR泉を越えると天理教の敷島大教会がある。

天理教敷島大教会
 13:58
 天理教の教会から少し先に大和川が流れている。

その川沿いに進むと
玉列(たまつら)神社。

大和川沿いに 

玉列神社
 14:39
 玉列神社から降りると道標を見て

近鉄朝倉駅に到着する。

道標 

近鉄朝倉駅
  本日のここまでの歩数:約 25,450 歩。
2013.5.13(月) 近鉄朝倉駅から長谷寺参道〜榛原駅〜まで約10km
14:50
天理から3時間半も掛けてここまでやってきたが、帰る気もせず続けて先へ進むことにする。
しかし、年をとったのか? 約13kmの距離に4時間半も掛かるとは・・・。 
 14:55
 駅から左手に薬屋を見て反対の右手(東方)へ進む。

すぐに庚申さんがある。

庚申堂
 15:04
 東に向かって歩いて行くとガードをくぐった左手が春日神社。

春日神社
 
 春日神社から更に東へ向けて白山神社を目指すのだが、途中の家の軒下に↓のような杓文字が飾られている。

この飾り物、どこかでも見たことあるように思うが、ともあれこのしゃもじに書かれている名前はそれぞれ別の名だ。
想像するところ、多分、この家の主が88歳以上の長生きをしたのだろう。
それにあやかり近隣の方々が私も88歳以上長生きするように・・・と祈りを込めて飾らせてもらっているのでは・・・?

15:12

 道を進めていくと左手に小さな標識。白山神社とある。
案内どおり細い道を進むと

白山神社

白山神社

白山神社
 15:23
 歩く先に大きな看板が目に入る。「山勝」だ。

「歩け・・・」のメンバーに関係のあるソーメン屋さん。
毎年僅かだがここでソーメンを求めている。

三輪そうめん山勝
 15:28
 山勝のすぐ先に「流れ地蔵」。

文化8年(1811)の大洪水で流れてきたお地蔵さんを、当時の出雲村の人たちが助け上げたと伝えられている。
その後、天保11年に祭り上げたのか。

室町時代末期の地蔵石仏で、高さ1.4mと結構大きい。
立派な宝形屋根のお堂で今も大切におまつりされている。

地蔵堂

天保11年と読める
 16:02
 流れ地蔵のあと、気をつけて歩いていたつもりなのに「十二柱神社」を見落としてしまった。 残念!!

初瀬観光センターは目に付いた。
中で小休止させてもらうと「出雲人形」が飾られている。

今より約2千年前、第11代垂仁天皇の御代32年7月に皇后日葉酢媛命が薨去されました。
 その葬儀に先立って殉死の遺風を改めようとされた天皇は、當麻蹴速との相撲で出雲の国より大和に召し出されていた能見宿禰の「土の人馬や種々の形を作り、これに変えられては」との意見をお取り上げになりました。

能見宿禰は出雲の国より土部百人を呼び寄せ、
土師連(はじのむらじ)として今の桜井市出雲に住み、土偶製作に当たったと伝えられています。
 また、このようにして作られたものが、後の埴輪といわれているものであります。


初瀬観光センター 

陳列棚
 16:04
観光センターを出るとすぐ前方に長谷寺の看板がある。

商店街を進み、喉が渇いたので喫茶店に入る。
冷コーを頼み飲み始めるとあっという間に飲み干した。

店のお嬢さんにこの先の進み方を尋ねると、「この店のすぐ先を右に曲がれ」という。

商店街を進む 

喫茶店「やまとびと」
 16:23
  「やまとびと」の先、5メートルほどのところを右折。

「右いせみち」とある 

伊勢辻橋を渡る
16:39 
  右折して大和川の伊勢辻橋を渡るといよいよ「化粧坂(けはいさか)」に入る。

化粧坂とは昔の人がこの坂のあまりの急さに汗をボロボロ、思わずお化粧をしなおしたから・・・とか。

化粧坂入り口

化粧坂

化粧坂
 16:48
 息をフーフー吐きながら登っていくと愛宕神社。

愛宕神社への石段 

愛宕神社
 16:53
化粧坂を下りてしばらく進むとお地蔵さんがあり、その先には桜井市の浄水場。

お地蔵さん 

浄水場 
 
 浄水場から国道165号線を進むが、そもそもの本伊勢街道は時に国道から少し離れているところがある。
平行しているので心配はないが・・・。

国道から田んぼを挟んで右手には近鉄電車が走っている。

田んぼに水を引き入れているおばあさんの姿もある。

地蔵さん

バス停「吉隠」・・・「よなばり」と読む

道標・・・「右いせ」と読める

近鉄電車が走る

宇陀市に入った 

田んぼに水を引き込むおばあさん
17:52
 国道で「西峠」に着いた。

古くは「墨坂」と呼んだ・・・と。

 西峠の説明板
17:59
  西峠から坂道を下り前方に東鉄工所が見えたら、そこを右前へ進む。

国道の右の道を進む 
 18:08
 墨坂伝承地の石碑を見て、その前の細い階段を下る。

墨坂伝承地 

細い階段 
 
 階段を下るとあとは道なりに榛原駅へ進んでくれる。

商店街に入る。伊勢本街道とある 

あぶらや

あぶらや前の道標 
 
18:23 ゴール、榛原駅
 
 今日一日暑かったああ〜〜。
駅前のコンビニでビールを買ってゴークゴク。

今日の総距離は23Kmということだが、天理駅を10:20頃にスタートして、ここ榛原駅着18:23 。
正味8時間労働! 時速3Km、スピードがない。 年令か?
   本日の総歩数:約 43,412 歩。